Death by ***① - 吉田暁のまいにちがハロウィン
と、偉そうなことを書きましたが私自身スパルタレースultraのAndorra大会終わってそのまま適当にbeast楽しんでいたら「挑戦する事で自分は変われる」みたいな甘っちょろい錯覚を抱いて帰国していたと思います。
ultra世界大会の招待が来た時は本当に憂鬱でしたし「ここで総合1位の結果のまま終わったら笑顔で帰国できるのに。あんな苦しい思いを2度と経験しなくて済むのに」とも思いました。笑
確かにAndorraに向けて半年間全振りしたし、レースも頑張ったので「死ぬ気でやれば何だってできる」とレース直後は思えたのですが、たかだか半年の挑戦です。
いざ世界大会の招待が届いてからはあっさり半年前に逆戻り...
「出来ない種目だらけだったらどうしよう?」
「世界の猛者相手にこんなド素人が紛れてていいのか?」と、毎晩怯えてうなされる半年前の自分がいて
結局自分は何も変わっていない事を痛感しました。
何ひとつ変わっていませんでした。
レースを一本やった経験値が増えただけ。
短期的な目標の為に頑張る事も素晴らしいですし、貴重な体験をさせてもらいましたが、もっと大局を見ないと
一つの目標を達成できたらまたスタート地点、ふりだしに戻ってくることを思い知りました。
毎日いろんな国のとても綺麗な景色や建物、文化財を見てリゾート地で過ごしましたが、心はずーっと未知の恐怖の事でいっぱいでした。
どんなにキレイで快適で物質的に豊かに過ごせても、自分の中の恐怖や不安と闘わなければ、世界中どこにいても一緒だと思い、人生で初めて帰国したくなりました。
(日本の環境がいかにそれをするのに最適か痛感したからです)
とは言え世界大会エントリーしちゃった💦笑
逃げて目を逸らすか?
現実を見るか?
こう考えるようになって初めて、超長期的な自分との闘いを意識するようになりました。
「もう結果はどうでも良い!Andorraで色々極限状態だった時の自分と闘って、次はアレを超えてみよう」と3週間かけてやっと思えるようになりました。
で、いざ膝ガクガクで恐怖を乗り越えて世界大会に行ったらとんでもないスケールの猛者がたくさんいて、また打ちのめされ、そしてメチャクチャ良い刺激をもらいました!!
今まで私はレッスンやトレーニングで追い込む時に
「しんどい!キツイ!やめたい!」
↓
「でもこれを超える事でもっと強くなれる」
↓
「できた!やれた!少しは成長できた」
を繰り返していたのですが、これは完全に甘かったと思いました。
(Andorraの時点ではこんな考え方でした)
「やめたい」という選択肢が頭に浮かんで、自分の中でせめぎ合ってる時点で甘すぎました。
「やる」
「できるまでやる」
「どんな状態でも時間がきたらやる」
今は自分の脳と闘うには、これ以外の選択肢はないと思っています。
これは世界のトップを見て気付いた事です。
この人達と私では味わった地獄の数が違う
私には地獄が足りない
年齢、遺伝子、環境の差ももちろんあると思いますが、決定的に違うのは地獄に平気で足を突っ込める覚悟を持っているか、突っ込んだトレーニングをしているか、だと思いました。
そして地獄に足を突っ込むには自分が自分を信用していないと出来ないと思いました。
彼らに自信があるのは「ナルシスト」だからではなく、極限状態で自分に全て賭ける経験を積んでいるからだと。
「日本に帰ってから目の色変えて何してるん?」とよく言われますが、世界の猛者達のいる地獄に足をつけにいく準備をしてます。笑
今は、子供の頃遊びに夢中になって晩ご飯食べながら寝てしまったような、明日の事なんか気にせずクタクタになっていた日々を、毎日送れることは幸せだと思っています。
チビチビ出し惜しみせずに、もっとダイナミックに潰れてみようと思います。
気持ち悪い文章ですみません!笑
以上が私がスパルタンレースultraに出た経緯と感じた事でした。
お付き合いくださりありがとうございます!
※今年は初めてドイツの糸でランニング用のアームスリーブ編んでます🇩🇪